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心理学のあれこれ

心理学史 014 ヴントの心理学

ヴント

1832〜1920年。実験心理学の基礎を築いたドイツの心理学者、哲学者。始め医学を修めたが、ベルリン大学で実験生理学を学んだことをきっかけに生理学的心理学に興味が移った。1864年にハイデンベルク大学の生理学助教授、ついで1874年にチューリッヒ大学の哲学教授を経て、1875年から退職するまでライプチヒ大学の哲学教授を勤めた。

1879年、ヴントはライプチヒ大学に世界で始めての心理学実験室を創設。形而上学からの心理学が独立した年であるといわれている。世界各国から集まった研究者がヴントのもとで学び、実験心理学の精神を自国に持ち帰った。日本では1885年に東京大学の井上哲次郎が一番手として聴講に訪れ、1906年に京都帝都大学の松本亦太郎がヴントの実験室を模した実験室を作っている。

ヴントによると、心理学は直接経験の学であり、直接経験は意識の事実であるから、心理学の目的は複雑な意識過程を分析して、その要素「内観法」によって抽出し、要素間の結合をコントロールする法則を明らかにすることにあるという。そして、心的要素の結合として心的複合体を過程し、「創造的結合の原理」を提唱した。なお、ヴントの内観法は哲学的な内観法とは異なり、精神物理学的、生理学的な方法や反応時間の測定など客観的な手法を取り入れているのが特徴である。

後のゲシュタルト心理学はこの要素主義を批判するために、行動主義意識主義を批判するところから生まれた。しかし、今日の認知心理学は再び被験者の意識過程を重視するようになり、行動主義によって一蹴されたヴントの心理学を見直す動きもある。

なお、晩年ヴントは高次の精神活動を研究するには、生理学的な測定や内観法の適応が困難であることに気が付き、民族心理学に関心を示して異なるアプローチを開始した。すなわち、人間の文化活動に着目し、民族ごとの集団的な精神活動、例えば言語、芸術、宗教などを精神発達史的な観点から探求しようとするもので、今日の文化人類学の基礎を築いたといえる。


1. 意識と内観

意識とは個々人が直接経験する心的現象の全体をいう。連合主義心理学や構成心理学では、意識を研究対象として自らの意識過程を観察し、それを心的要素に分解する内観を主要な方法とした。ただし、ヴントは精神物理学的、生理学的な方法や反応時間の測定など、客観的な手法を取り入れており、これがヴントが自らの心理学を生理学的心理学と呼ぶ所以でもある。意識現象を要素に分解せず、そのままとらえる現象学的方法とは対照的な関係にある。


2. 心的要素

ヴントは、意識を要素に分解できると考え、それ以上分解できない意識の最小の要素を内観によって網羅的に説明しようとした。ヴントは、元素周期表にならって意識の要素目録を作ることを目指していたという。心の要素として、客観的な経験内容の構成要素である純粋感覚と主観的な経験内容の構成要素である簡単感情の2種類あると考えた。→創造的結合の原理

ヴントは、意識が心的要素から構成されると考え、心的要素の結合の法則を定めることが心理学の課題とした。ヴントは心的要素が結合したものを心的複合体と呼び、創造的結合の原理によって結合した心的複合体の性質は、単なる総和ではなく、新たな性質を備えていると述べ、機械的な結合と区別した。ヴントのいう「統覚(下記参照)」と関連が深く、後のゲシュタルト学派の「ゲシュタルト」という概念にも通じるものがある。


3. 感覚の属性

意識過程を要素の単純な加算による複合的過程と見る構成心理学は、心的要素として感覚をあげ、個々の感覚はいくつかの属性を備えているとした。ヴントは、純粋感覚や簡単感情が質と強度という2つの感覚属性を持つと考え、ティチナーは強度・性質・持続・広がり・明瞭度の5つの属性を想定した。 →感情の三方向説

ヴントは、意識を構成する心的要素として純粋感覚と簡単感情の2つを想定し、簡単感情は快・不快、興奮・沈静、緊張・弛緩という3つの軸からなる3次元空間に表されるという。この説は様々な批判を受けたが特に弟子のティチナーは、3つの事件の独立性という点からヴントの説に疑問を差し込んだ。


4. 統覚(→ティチナーは否定)

個々の意識内容を結び合わせ、統合して1つの意思内容とする過程である。17世紀のドイツ数学者・哲学者のライプニッツは、最初に意識の上らない微小感覚から表象を持つ意識までの段階を示し、その際に表彰が明瞭になることを統覚と呼んだ。ヴントもこの考えを採用し、純粋感覚や簡単感情が統合すると元の要素にはない新たな性質が生じるとした。